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走ラヌ名馬

時間は最良の医者とはいうものの、ぼくらを支配しているのも時間なんだよね。最近、日付けがすぐ変わる。

トヨエツが太宰治を演じるそうな。こちら 今の俳優の中では、たしかに彼が一番似てる ・・・ かな? ドラマの放映は今秋らしいので、まだまだ先の話だけれども。

今日、6/19が桜桃忌であることを初めて知りました。桜桃忌自体は知ってたけど、日付けは知らなかったというマヌケっぷり。しかも6/19は太宰の誕生日でもあるんだね。享年39歳。

そのほか、特別な名前がついた忌日には以下のようなものがあります。芥川龍之介河童忌(7/24)。三島由紀夫憂国忌(11/25)。司馬遼太郎菜の花忌(2/12)。

太宰の最期は玉川上水への投身、つまり自殺であるというのが通説になっています。一方、あれは自殺などではなく酒の勢いで飛びこんでしまったのだと唱える人もいます。いずれにしろ“事件”から半世紀近く経ち、真相を探るのは不明です。個人的には、生活の安定、さらに心身の安定をえていた当時の彼が身投げなどをするはずがないと思っている、いや思いたいのですが ・・・

絶筆となってしまったのが「グッド・バイ」、そして当ブログの名前として使用させてもらっている「如是我聞」です。前者は名前こそいかにもそれっぽく聞こえますが、内容はいたって明るいもの。ただし、「別離の様相を写し得」ることを目的としているので、馬鹿笑いできる話でないのは勿論です。けれど、彼の諸作の中でも描写が特にユーモラスかつ健康的だと思います。読めば微苦笑すること間違いなし。

絶筆に対し、最初の小説集は「晩年」。彼自身が明らかにしているとおり、当時の彼は遺著のつもりで書き上げたため、このような名がつけられました。人生の総決算のつもりで作品を書き上げたわけです。文学ファンにとっては喜ばしいことですが、彼は「晩年」を最初で最後の小説集とはせず、以後多数の名作を書き続け、世に残しました。


死のうと思っていた。今年の正月、よそから着物一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色の細かい縞目が織り込まれていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。



上の一節は『晩年』所収の小説、「」の冒頭です。この作品を書いた時にはすでに精神上の窮地から脱していたんでしょうね。しみじみとさせられます。


“アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ”


こちらは「右大臣実朝」の有名なフレーズ。この作品を書いていた頃、日本は戦争の真っ只中。狂気と恐怖が蔓延していく日本において、彼は奇妙な明るさを見出しました。以来60年経過しましたが、21世紀の現在においてもこの言葉は深い意味を有しているように思えます。


処女作品集が「晩年」、そして絶筆が「グッド・バイ」。あまりにもできすぎているような気がするのは私だけではないはず。グッド・バイといえば、↑THE HIGH-LOWS↓の1stアルバムは「グッドバイ」という曲で始まります。1stシングルの「ミサイルマン」の3曲目には「グッドバイ」のライブver.が収められていますが、THE BLUE HEARTSを解散してすぐに発表した曲ということもあり、非常にシニカルな雰囲気が漂う曲です。曲の背景を想像するとあまりいい気がしないのも確か。「さすがマーシー」というところw

中学生か高校生の頃に聞いたんですが、英語の‘good-bye’は“God be with you.”の縮約形らしいですね。そういえば映画ザ・ロックでニコラス・ケイジが演じた主人公の名がグッドスピード。これもgodに由来し、「成功、幸運」を意味する名だと作中で明かされていたなぁ。

語源や由来をたどると面白い言葉はけっこうある。LASERSTARTBASICなどはアクロニム(頭文字)だとは思えないほど、うまく名付けてある。Mafia(マフィア)の語源を知った時はかなり驚いた。気になる人は「MASTERキートン 」の9巻を読んでみましょう。ワイド版なら5巻になります。


太宰は小説だけでなく、「もの思う葦」などのアフォリズム集も著しました。その中でも特に有名な一節を以下に引きます。


   生きていく力

 いやになってしまった活動写真を、おしまいまで、見ている勇気。



この文を読むと、太宰は自分の運命を予感していたのだと思わずにはいられません。が、逆に何かとわずらわしい娑婆を「おしまいまで、見てい」く決意を記したものではないかという気もするのです。これはファンの僻目かもしれませんが ・・・

含羞>というキーワードで語られることの多い太宰。作品だけでなく彼自身も強い個性を放ち、ファン・アンチの双方にとって大きな存在だと言えます。読者の年齢を選ぶ作家だとよく言われ、青春時代に出会った人に対しては強い印象を与えずにはおきません。

一見、人生を苦手としていた人のようですが、基本的には明るい人だったと思います。幾度も人生に絶望しながら、なお人間の善良さを信じ、未来に希望を抱いていたのではないでしょうか。実際、彼の「心づくし」によって救われた人は数多くいるはず。


今日の最後は彼の作品中で最も好きな一節を挙げて終わりたいと思います。


さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。
                                                     「津軽」より

by lambda924 | 2005-06-20 03:25
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